マスコミの現状-食品の安全性とリスクマネジメント-

中村雅美?? (江戸川大学情報文化学科 特任教授)

マスコミの現在の姿、あり方を語る前に、社会の前提となることを少し話しておきたい。これは私たち(少なくとも私)が、日頃、どういう点を念頭に置いて取材をしているかということでもある。

その第1は「安全と安心とは異なる概念である」ということである。よく「安全・安心できる社会作り」ということがいわれるように、安全と安心は同じ意味合いで語られることが多いが、実は異なる概念であると(私は)思っている。

「安全」は科学的、客観的に評価されているものであるということである。いわば数値で表されることだ。これに対して「安心」というのは消費者(情報や商品を受け取り、利用する人たち。広い意味でのユーザー)が安全と考えることやものであり、ここには心理的な要素が入る。いわば心の問題であり、主観的なものといってよいだろう。だから、為政者が安全を叫んで「だから安心してください」といっても、ユーザー側が「安全だと(頭で)わかっていても安心できない」と考えることが世間によくある。いわゆる安全と安心のギャップだが、これをどう埋めるかは非常に難しいことで、結局は(供給者とユーザー間の)信頼と信用を高めることしかないと思っている。

第2は報道のあり方である。

私は報道はF×T×S+Lが大切だと考えている。FはFact(事実)で「事実に基づいて正確に伝える」ことであり、TはTiming(時機)でいわば「適時に知らせる」ことだ。SはSoftware(伝え方)で、「伝え方が報道する内容にふさわしいものであるか」、ということを大切にしたい。いくらFやTがあっていても伝え方に工夫がないと(適していないと)全部がパーになって、報道する内容の信用が失われてしまう。

それにLが加わればなおよい。LはLiteracyいわば(受け手の)理解力であり、これはあった方がよいが、なくてもよい。Lが乏しければSをより工夫していけばよい。

こうした前提の元にマスコミを眺めてみたい。まずマスコミも含めたメディアとは何か、を考えてみよう。

あらゆる情報(あるいは商品)には送り手と受け手がいる。その仲立ちをするのがメディアだと考える。だからメディアには専門家や政府・自治体の関係者、NPOなども含まれる。あるいはPR会社(単なる広告会社は除く)もはいるかもしれない。もちろん、マスコミ(報道機関)もこれに含まれるが、特にジャーナリズムの視点を持っていることが必要だろう。

ではメディア、あるいは(科学)ジャーナリストの使命とはどのようなものであろうか。私は大切な使命として、専門家と非専門家の間にある情報の非対称性を解消することがあると思っている。その中には「リスクとベネフィットを正しく伝える責任」と「リスク予測責任」「物事の結果を予測しそれを社会に知らせる責任」があると考えている。いわば、読者(視聴者)のリテラシー(理解力、活用力)の向上、判断材料の提供に主眼を置くべきであると思っている。そのためには公平・公正な報道を心がけることはもちろんだが、物事の背景、本質を見る力や洞察力や健全な批判精神をもつ、質の高い情報を提供しなければならない。「知る権利」の擁護、高い倫理観をもたなければならないことは言うまでもない。

メディアはどういったことを大きく扱う傾向にあるのだろうか。「タイムリーな(時宜にあった)出来事」や「社会にとって重要な出来事」はもちろんであるが、「めずらしい(異常な)出来事」「初めてのこと(日本初・・・、世界初・・・)」「感情に訴えることがら」などであろう。

近年になってよく使われる言葉にリスクがある。元々は「将来起きるかもしれない(必ず起きるとは限らない)損失や危害の可能性」の意だ。日本でも古くから「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という言葉があるように、何事かをなそうとするときはある程度の危険を想定しなければならないという意味だ。

リスクはハザード(実際に起きた危険性)とチャンス(機会、確率)の組み合わせであり、決して危険(ハザード)があるという意味ではない。しかし、メディアはリスク=ハザードとして報道していることが多いのも事実である。そういったことから、リスクはどんなものにもあるとの意識をもつことが大切で、人間は間違いを犯しやすいということを前提に、フェイルセーフではないが、システムを組み立てることが重要だ。

では一般の人々はどういった場合にリスクが高いと感じるのだろうか。食品と放射性物質との関係でみても、それは「実際に被害(環境汚染など)にあった」ことはもちろんであるが、「子孫に影響が及ぶ可能性がある」ことも大きいのではないかと思われる。

もう一つ、「不明・不確実な要素が多い(未知性)」「情報が不足しているか、隠されている」こともあるのではないだろうか。この点は今回の東電福島第1原発の事故との関わりからも推し量れる。不安を軽減し、「正しく恐れる」ためには科学的な情報を早く正確に伝えることが大切である。放射性物質汚染と食品の安全の関係でいうと正確な情報を流すことの大切さを感じる。

(財)食の安全・安心財団がまとめた「食と放射性物質に対する意識調査」の結果がある。これは北海道から沖縄までの日本全国の20歳代から60歳代までの男女2000人を対象に、昨年1月に行われたもので、やはり情報源としてテレビ、新聞が主要な位置を占めている。一方、若い人を中心にインターネットの情報源としての重要性も高まっていることも浮き彫りになっている。

また、昨年4月からは食品中の放射性物質に対する新しい基準がスタートしている。日本の基準は欧米に比べて厳しいものだが、これに対しても「行政(政府)の情報は縦割りだ」という意見が強い。例えば、放射性物質のリスク評価は食品安全委員会が、新基準値策定などは厚生労働省が、学校給食は文部科学省が基準を決めるという具合だ。是非省庁間でこの点の統一を図ってもらいたいし、専門家(研究者)の情報は賛否バラバラであることも気がかりである。

私は食品と放射性物質の関わりなどリスクに関して、行政に望みたいことは「正確な情報を早く伝える(公表する)」ことにつきると思っている。また企業(食品と放射性物質に関しては東京電力)に対してはこれに加えて、「とっている対策を(迅速に)実施する」「社員一人ひとりのモラルをレベルアップする」「社会(一般市民)の信頼を得る努力をする」ことが大切である。いわば「逃げるな」「隠すな」「嘘つくな」である。

一方、一般市民は「感情的ではなく科学的に判断する」「(企業性悪説に基づかずに)中立な提言をする」「知識不足による主観的な発言などを避ける」などを心がけることである。

私は特に健康食品について「食品と医薬品の差を知る」ことの大切さを言っている。よく言われるように、食品は不特定多数の人が毎日摂るものであり、体にとって「よい」ものであるのは当然で、有害なものであってはならない。だから、素人(主に主婦など)が扱う。一方の、医薬品は病気やけがを負った人がとるものであり、体にとって有害な事象(副作用)は避けられない。だから、細心の注意を払う必要があり、扱うのも玄人(プロ=医師や薬剤師)である。一般市民は食品にあまりにも医薬品としての働きを期待しているのではないか。

いずれにせよ、メディアを活用して情報発信をしなければならない時代である。専門家とメディアとの協力も欠かせない。ここではジャーナリストの活用が大切になる。同時に専門家は正しい視点で、正しい情報を提供して欲しい。

最後に食品と放射性物質との関係にかかわらず、リスクコミュニケーションにあたってとるべき姿勢について、私見を述べたい。それは、「見つからなければ大丈夫と思っていないか」「(とった対策を)家族に胸を張って話せるか--そのことを家族・自分の子供にすすめられるか」である。

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