「大阪商工銘家集」に見るくすり・医療・病気

稲垣裕美(内藤記念くすり博物館 学芸員)

江戸時代には「江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)」のように、特定の地域の店舗や商品の広告を掲載した書物が何種類か刊行されています。これを調べることによって刊行された年に特定の地域にあった店舗やそこで販売されていた商品の概要が浮かび上がってきます。今回は弘化3年(1846年)に江戸・京都・大阪の三都市の書店で刊行された「大阪商工銘家集」を題材に、当時のくすり・医療・病気について紹介いたします。

19世紀半ばは、街道や廻船による物資輸送が盛んとなった時期です。特に伝統的な手工業生産地帯の中心である大阪から、膨大な都市人口を抱えた江戸へ多くの消費物資が供給された時代で、「大阪商工銘家集」にも衣食住や輸送など多種多様な業種の広告が掲載されています。

掲載された店舗数のうち薬屋は101件で、全体数の約1割にも上ります。江戸や大阪では薬種を扱う株仲間も結成されていましたが、薬屋以外の店も代理店として薬を販売していました。

「大阪商工銘家集」収載の薬の中で、万病感応丸(まんびょうかんのうがん)・御湯薬・ウルユス・人参龍眼肉円(にんじんりゅうがんにくえん)・鎮火五龍円(ちんかごりゅう えん)・人参三臓円(にんじんさんぞうえん)・小児龍子丸(しょうにりゅうしがん)の7種類は、看板や薬品、広告などの実物資料が内藤記念くすり博物館に残されています。同書に掲載されているその他の医療関連の品としては、入れ歯・鍼(鍼灸治療に使う器具)・はこべ塩(歯磨き)があります。

次に薬の広告の中の病名を調べてみると、血の道、産前産後などの婦人病、疳の虫などの小児病、痰・溜飲(りゅういん)・癪(しゃく)などの胸や腹の詰まる症状、ひえ・しつと呼ばれた梅毒などの病名が多数記載されています。現在では、梅毒はすぐさま病院に行くべき病気ですが、当時は症状をおさえるだけの対処療法を主に売薬に頼っていたようです。

薬の値段は、文政年間(1820年代)の大工の1日の手間賃を583文、かけそば1杯を16文とすると、1袋あたり大工の日当の約四分の一程度のものが多かったようです。唐人参の7.5g(ボールペン1本分程度)は日当の4倍に相当したともいわれています。

買物案内書はその序文にあるように、「当地に不案内な人でも物を整えるのに案ずることはなく、人に尋ねるに及ばない」ほど多くの情報が掲載されており、参勤交代で都市部へ異動してきた武士、取引先を探す商人などには便利なものだったと思われます。当時、医師にかかれない階層の人でも、現在で言えばドラッグストアの薬を選択するような感覚で、買物案内書に載っているような売薬を購入していたのではないでしょうか。

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